2001年 バングラデシュ総選挙  今 崇子

 

1.序文

2001年10月1日、バングラディシュにおいて任期満了に伴う総選挙が行われ、インターバンドからは、筆者と松浦の2名が選挙監視活動を行なった。今回、インターバンド及びANFRELは、国連選挙支援事務局(UNEAS: United Nations Electoral Assistance Secretariat)と、主に法律家の集まりであるバングラディシュ現地NGO・ODHIKAR (ベンガル語で「人権」の意)の協力のもと選挙監視活動を行った。ODHIKARは、本職とは別に、政権における殺人事件等を調査、解明するほか、ジェンダー問題、識字問題にも取り組んでいる団体である。

 

2.政治的・宗教的背景

今回の選挙においては、経済不況など政党間で論じられるべき争点はあったが、現在の二大政党であるアワミ連盟と民族主義党(BNP: Bangladesh National Party)は過去に国民党と対峙して共闘したこともあり、政策自体に大きな隔たりはなく、なによりも最大の問題は、選挙そのものが民主的かつ平穏に行われるかであった。なぜならば、同国は選挙の度に与党による不正工作や野党によるボイコットにより、選挙が事実上機能しない状況が続いてきたからである。

例えば、82年のエルシャドによるクーデター後の86年5月に、民政移管を目指して初めて行われた総選挙では、エルシャド支持者によって結成された国民党が大々的な不正交錯により勝利し、BNPはボイコットしている。71年の同国独立に貢献した、当時の最大野党であるアワミ連盟は、BNPやイスラム協会と共闘し87年12月には国会を解散に追い込むが、翌88年3月の総選挙では、中立選挙管理政権のもとでの総選挙を国民党が認めなかったことにより主要政党が全てボイコットし、国民党政権が継続している(なお、その時の投票率は、公式には55%と発表されたが、実際には1%にも満たなかったとされている)。

湾岸戦争の影響もあって、中立選挙管理政権によって行われた91年総選挙においては、大々的な投票妨害行為もなく、BNPが第一党に、アワミ連盟が第二党となる。しかし、96年2月の総選挙においては、与党であるBNPは選挙管理政権による総選挙を拒否したことで、主要野党は、不正工作によってBNPが勝利することが明白であるとして、候補者擁立から投票までの全てをボイコットすると共に、投票率を下げることでその選挙の公正性を否定する目的で投票妨害を行っている。

今回の選挙は、96年の6月に改めて行われた総選挙によって与党となったアワミ連盟によって、中立選挙管理政権によって委ねられたことから、少なくとも88年選挙のような「茶番」にはならず、公正な選挙が行われることが予想されており、どの政党がボイコットすることもなく投票日を迎えた。

 

3.選挙監視の様子

筆者は、選挙日の4日前、9月27日に首都のダッカに入った。市内を車で視察すると、大小さまざまな各政党のブースが隣接して並んでおり、その様子はさながら祭りの屋台のようで楽しげな雰囲気であるというのが到着後の第一印象である。前述のように選挙のごとに問題が発生し、今回も既にキャンペーン中に死傷者が出ていたようだが、そのような緊張感は特に感じない。しかし、恐怖と楽しみは紙一重だということを、その後徐々に実感していくことになる。

筆者の派遣先は、ダッカから2、30キロメートル(車で約1時間半)のナラヤンガンジ市の南であった。ブリーフィングで市長にうかがったところによると、この地域はマイノリティ(非イスラム教徒、主にヒンズー教徒。なお、同国の宗教は、イスラム教が80%、ヒンドゥー教徒が18%、その他が2%である。)が多いとのこと。

選挙日当日、ヒンズー教徒の多い投票所を監視にいくと、守衛と何やらもめている人だかりを発見する。我々の運転手と現地監視員は危険とみなし通過をしようと試みるが、"International Election Observer"のステッカーを車の窓に貼っている我々の車は、少なく見積もっても150人の男性に囲まれた。窓を開け訴えを聞くと、彼らはマイノリティであるヒンズー教徒で、彼らの奥さんや妹や母親が朝から並んでいるのに、昼過ぎの今になっても戻ってこないので、中で差別されていないかどうか、入って確認してきてほしいとのことであった。ヒンズー教徒への差別から発生する殺人事件も日常茶飯事であるこの国で、彼らの心配は当然の事といえる。

中に入ると、その投票所は女性だけの投票所であった(イスラム教の協議に基づいて、投票所は男女で分けられている)。ヒンズー教徒は赤い染料を塗り色鮮やかなサリーを着ていて、イスラム教徒は黒いサリーを身にまとい髪を隠しているので、識別は容易にできるのであるが、投票所内には宗教による差別は見られず、宗教に関係なく混合した列が自然とでき、特に誰かが差別されている様子は見られなかった。押しくら饅頭状態でも和気あいあいと並ぶのを楽しんでいる人すらおり、概ね穏やかな雰囲気である。しかしながら、事務手続きも日本の5倍くらいかかっているように見受けられ、一人平均1時間以上は優に投票に費やしているようであった。体調が悪くなった人を優先するなどの柔軟な対応も見られたものの、ローカルの選挙管理員の手際の悪さと杓子定規な対応は今後の課題だろう。中の様子を伝えたことで外の男連中も静まり、この投票所を後にする。

また、街中にある投票所でもアクシデントに遭遇した。アワミ連盟の選挙事務所の中があらされたらしく、ガラスやら外装が壊されている。彼らはBNPの連中がやったと訴えており、一人怪我をしたから見に来るよう誘導された。血痕を辿って行き、ついた先にはベッドに一人の男性が横たわっていたが、幸い彼は軽傷だったようだ。どの党の支持者が襲撃したのか、真相は明らかではないが、この国では選挙のたびにこのような事件が起きているようである。但し、後から聞いた話であるが、選挙期間中の死傷者は今回が最も少なかったようである。 

 

4.総括、今後の展望

筆者が回った投票所に限っては、特に不公正な投票プロセスは見られず、概ね円滑かつ公正に投票が行なわれていた。EUをはじめとする各機関・政府の監視団も、それまでの選挙に比べれば格段に平穏のまま終わることが出来、この投票結果は信頼できるものである旨を表明している。

しかしながら、10月1日の投票日までの75日間で131人、投票日翌日から1週間で46人が政治抗争で殺害されており、投票日当日の暴力事件が原因で15選挙区において再選挙を余儀なくされたことは無視できない。

結局、バングラディシュ5年ぶりの総選挙は、BNPが191議席獲得し対照し、アワミ連盟は第二党にはなったものの62議席を獲得するにとどまり、改選前の146議席から大きく議席数を減らして いる。しかしながら、このBNPの大勝の裏には、汚職にまみれたアワミ連盟の政治に国民が非を唱えただけであり、国民の多くはBNPを積極的に支持しているわけではなく、BNPの実態もアワミ連盟と大差がないのではというのが大方の見方である。そのことを鑑みれば、同国の試練は、まさにこれからの国会運営にかかってきており、これ以上の与党の汚職政治や、それに対する野党のボイコットという、ここ20年の政党間の対立の構図は絶ちきらねばならないだろう。

ちなみに、アワミ連盟は開票直後、投票の無効を訴えて議会への出席のボイコットを表明していたが、結局10月24日にはアワミ連盟公認当選者は国会議員就任宣誓を行っている。これは、多くの現地選挙監視員および国際選挙監視員が監視活動をして、大きな不正行為はなく公正かつ民主的な選挙であったと断じだことと無関係ではないだろう。すなわち、民主主義が根付いていない地域における選挙は、時に簡単に結果が覆されることも少なくなく、そこに中立な第三者が監視することでその正当性を担保し、いかなる物理的・政治的に実力を有している者も容易に結果を覆すことができなくなる。その意味で、特にバングラディシュのような国での選挙監視の必要性を改めて痛感した。