過去の講演会

2013年度カンボジア国民議会選挙 選挙監視報告会③

報告者:飯島毅(桜美林大学4年)

今回のカンボジア選挙監視活動に参加した4人の大学生を代表して、飯島は選挙監視活動から学ぶことの多さにとにかく圧倒されたと語る。民主主義国家である日本で大学生として過ごす日々の中で、政治と自分自身の接点を見出せず選挙前だけ関心を持つ自分と比較して、選挙に対して高い期待と関心を持ち、一票に思いを込めるカンボジア人の前にただ立ち尽くすしかなかったというのは同じ大学生として参加した筆者も同感である。

カンボジアでの選挙監視活動の中で、強力な与党の圧力の前に自らの政治的信条を表明できず、自衛の為に偽りの意思を身にまとわなければいけない現実がそこにはあった。不正によって投票できない人は怒り、投票を終えた人は安堵と喜びの入り混じる表情を浮かべていた。彼らのそうした態度は政治を自分ごととして捉えている証拠であり、政治に参加できるということがいかに尊いことかを思い知る出来事であったという。

民主主義という政治体制をとる国において、国とは政府のことではなくむしろそこに生きる人々、それは内戦と虐殺というどん底の歴史からカンボジアを築き上げた人々であり、そしてこれから新しいカンボジアを築いていく人々そのものだろうと彼は述べる。大学生として選挙監視活動を通じてカンボジアの人々と関わった中での彼の素直な実感であろう。

不正があったという事実。その事実を受けての選挙結果はあと5年動かないだろうし、カンボジアの人々にとってこの5年は極めて長いものに感じられることだろうと飯島は案じた。だからこそメディアを通じてカンボジアに注目し続け、再び5年後の選挙監視に参加することが自分に出来ることだと彼は強く言い切った。

 

飯島は、カンボジアの民主化にとても貢献したとはいえない自分に対して、また来てくれと声をかけてくれたカンボジアの方々に感謝したいといい、この報告を締めくくった。謙虚な姿勢で真摯にカンボジアと向き合った彼の今後が楽しみでならない。

2013年度カンボジア国民議会選挙 選挙監視報告会②

報告者:杉浦功一(和洋女子大学准教授)

杉浦氏は国際的な民主化支援活動を主な研究課題としている。今報告では、杉浦氏の専門分野から、世界の選挙情勢、NGO等による選挙監視活動の動向等を述べていただいた。

 

まず、近年の世界の動向としてNGOなどを含む外部ファクターを巻き込む形で国際社会を意識した選挙戦がトレンドとなっていることを述べた。外国から選挙監視団を受け入れ、与党側は自分たちのやり方が正しいことを、野党側は不正があったために政権をとることが出来なかったことをしきりにアピールするという動きが世界では広がっているという。ここでは2004年のウクライナ大統領選が例に挙げた。当時の有力候補の不正を野党側が訴え、やり直し選挙の末に勝利を収めたというものだ。こうした選挙における不正を野党が利用するやり方はマニュアル化され、いかにして野党側が強力な政権を倒すのかという経験を様々な国で経験を共有しているという。2000年代後半になると、政権側も野党側の動きへの対策を各国で共有し始め、当時のロシアのプーチン政権は外国からNGOが入ってくることを全面的に禁止し、外からのお金の流れを遮断することで選挙をきっかけに政権交代を図ろうとする動きを封じ込めることに成功した。世界中でこうした動きがある中で、今回のカンボジアにおいても与党CPP、野党CNRPの双方がある程度互いの動きを考えての選挙戦を繰り広げていただろうと語った。

カンボジアは欧米からは民主主義国家とは見られておらず、独裁国家として評判があまり良くないという現状がある。NGOの活動を規制する法律を作ろうとする動きや、公務員による汚職によって政府は腐敗し、そうした理由から外国からの投資が増えないことで経済発展が頭打ちとなる。杉浦氏は、これはカンボジアの将来を考えるうえで非常に大きな問題だと指摘した。

また、杉浦氏は選挙監視の限界もついても訴えた。選挙における不正は早い段階で仕込み済みで、監視団が現地に入った段階ではすでにどうしようもないという。そして短い期間での監視で、不正のあった選挙を表面的にだけみてOKと判断すれば、政権側にお墨付きを与えることになるということも指摘した。そうであれば不正が起きそうな場合には監視団を派遣しないという対応もあるのだという。ヨーロッパにおいては、欧州安保協力機構(OSCE)などが長期のミッションを派遣し、早い段階で不正に注文をつけるなど、長年にわたって選挙過程を見続けるといったことを行っている。ただ、選挙監視団を派遣することで政府に対して外国の目があることを知らせることで不正を起きにくくさせるという効果はあると述べた。

 

杉浦氏は選挙監視には限界があるものの、実際に現地に赴かなければ見えないものも確かにあったといい、選挙をきっかけに民主化が進むことが大事であると語った。あくまでも政治を変えるのは選挙であり、クーデターや反政府デモで政権をひっくり返しても政治は安定しないと断言した。最後に、民主主義にとって大切なことは選挙での政権の交代だと繰り返して今報告の締めくくりとした。

2013年度カンボジア国民議会選挙 選挙監視報告会①

報告者:阪口直人(衆議院議員)

阪口氏は、インターバンドの事務局長を経て現在は衆議院議員として活躍している。

カンボジアには1993年のUNTACでの選挙監視活動以降、計5度の選挙監視活動に携わった。この度は阪口氏の経験から過去の選挙の争点や、阪口氏の視点からカンボジアの情勢を語っていただいた。

 

1回選挙(1993)

獲得議席数 カンボジア人民党 51

                  フンシンペック党 58

                  仏教自由民主党  10

                  モリナカ党     1

阪口氏はUNTACの一員としてこの選挙での監視活動を行った。監視活動中に同僚の中田厚仁さんの死を経験し、利害関係の無い国へボランティアが行っているという事実を改めて認識したという。選挙結果はベトナムの影響が強い人民党への拒否感と当時の国王であるシハヌークの人気の高さをうかがわせるものであった。

 

 

2回選挙(1998)

獲得議席数 カンボジア人民党 64

                  フンシンペック党 43

                  サム・ランシー党 15

外務省からの派遣でカンボジアに入った2回目の選挙は、その前年に現首相のフンセンがクーデターによって民主的な選挙結果を軍事力で覆すなど、混乱状態の中での選挙となった。ポイントは国際選挙監視員の厳しい目がある中で、いかにカンボジア国民がフンセンを承認するのか、また民主的な過程を経ての選挙が行われるかということであった。クーデターを起こしてまで政権の座を得たフンセンがここでまた負けることがあれば、国家の安定が遠のくのではという不安が国民の間に広がり、人々はフンセンの負けを恐れていた。日本政府の落としどころも人民党の勝利であったといい、結果的には人民党が勝利を収め、人民党政権が国際社会・カンボジア国民から一応は認められた形となった。

 

 

3回選挙(2003)

 選挙結果 カンボジア人民党 73

            フンシンペック党 26

            サム・ランシー党 24

この選挙はインターバンドの事務局長として監視団を組織する立場として参加した。この頃までに人民党による支持基盤は強固なものとなり、フンシンペック党の凋落が目立った。一人当たりのGDP300ドルあたりで国民が豊かさを感じるには少し難しいという国の状況。経済成長率は6~8%と堅調な伸びを示し、政治の安定がもたらす恩恵は国民にも感じられるものであった。インターバンドが除隊兵士支援を行っていた地域で住民にヒアリングを行ったところ、不正がなければ人民党が負けるとの声を多く聞いた。政府が土地を接収しては外資に売り飛ばし、政府だけが儲けて国民は土地を失うなど、特定の地域では人民党への不満が聞かれ、そうした不満がそのまま野党への期待となりサム・ランシー党が議席数を伸ばした。全体としては、内戦の記憶からの変化を求める声が数多く聞かれたものの、依然として急激な変化に抵抗がある層が多く、人民党の勝利という結果となった。

 

 

4(2008)

選挙結果 カンボジア人民党        90

               フンシンペック党         2

               サム・ランシー党        26

               人権党              3

            ノロドム・ラナリット党   2

阪口氏は、日本での自身の選挙のため監視員としては参加せず。フンシンペック党の凋落が決定的となり、一方で人民党はその支持基盤をさらに強化し、圧倒的な力を示す結果となった。

 

 

5回選挙(2013)

 選挙結果 カンボジア人民党 68

                  カンボジア救国党 55

民主的な選挙を経て支持を受けた人民党は、強権的な議会運営を行っており、選挙は民主的だが議会は民主的ではなく後退しているといわれた。当然選挙前には人民党勝利の基盤が作り上げられていたというわけだが、先に述べたようにサム・ランシーの帰国で事態は急展開を迎えることに。変化を期待する国民が一気に盛り上がりを見せた。参加者に2万リエル(5ドル)を配るなど、組織力と資金力を使って派手なキャンペーンを行う人民党だが、淡白でメッセージは伝わってこなかったと阪口氏はいう。野党支持者の若者たちは、人民党のキャンペーンで得たお金をガソリン代にし、車やバイクでにぎやかに町中を走り回り、熱狂的に変化を訴えた。カンボジアの村社会では周りの目を気にしながら生きているため、商売や付き合い上での嫌がらせを避けるために人民党に投票しなければならないと強迫観念にかられる人々がいる。今回の選挙ではプノンペンにおいて人民党が負けることを恐れる雰囲気は感じられなかったという。そこには世代交代の波があった。内戦終結後に生まれた世代が全選挙人の3割ほどを占め、内戦の記憶が無い彼らは恐怖によって投票行動が制約されることが少なかった。プノンペンと地域では多少の差こそあれ、カンボジアの新時代の到来だと阪口氏は語った。

選挙後は、不正があったと訴える救国党側が不正調査委員会の設置を要望し、両党間の協議も3回実施されたが合意には至らず。その後もデモを行うなど選挙における不正を訴え続けたが、フンセンを首相とする新政府は樹立し、救国党の55人の議員は国会には参加していない。一方で、救国党党首のサム・ランシーは過去の経験から、政権の一翼を担いながら結局は人民党にコントロールされることを知っており、政府の中に入って戦い、健全な野党としての立場を確立することの難しさをよく理解しているのだろうとも語った。

今回の選挙ではフンセンの3男が当選するなど、フンセンは着実に世襲される準備を整えている。さらには自分の身内を軍・警察・メディア・政界に置くなど、権力基盤を確固たるものにしようとしている。こうした縁故主義による王朝体制のなかでの権力移譲は国民からの理解が得られないだろうとし、その流れと共に内戦後の若い世代が増えることで内戦の記憶は風化し、彼らが次の選挙で政治に何を求め、どのような投票行動を見せるのかが非常に興味深いという。時間がどちらに味方するのか、注視していただきたいとの言葉で報告を終えた。

講演会タイトル:武器はなくせるのか?

講演者:佐藤慧(株式会社スタディオアフタモード:Field Editor/Journalist)

日時:2013626

場所:JICA地球広場 大会議室

 

 本講演では「武器」という言葉そのものの定義を見直しながら、佐藤氏が撮影した写真を題材に、現代世界における紛争や貧困という問題が論じられた。佐藤氏は、武器を「人を傷つける意志を込められたもの」と定義することにより、重火器や小型武器のみが武器なのではなく、日常生活において身近な道具(例えば、料理包丁や農耕具)なども、それを使う人間次第では武器となることから、暴力が各々の心持や考え方と密接に結びついていることを訴えた。また、物理的な道具を伴わずとも、特定の価値観のみを中心とした社会形成(例えば、経済成長率を過度に重視する社会)や無関心が、暴力につながると警鐘した。

 例えば、ザンビアの首都ルカサにあるゴミ山で暮らす男性の写真を紹介しながら、経済成長のみを重視する社会からこぼれ落ちてしまう人々がいることや、同国で蔓延しているHIVに感染した少年の写真を提示しながら、命の価値について佐藤氏ならではの視点から論じられた。その他にも、南スーダンの独立を機にスーダンから帰国した女性の生活について、また、コンゴ民主共和国における紛争についても説明がなされた。

 最後に、本講演のタイトルである「武器はなくせるのか?」という問題に対して、佐藤氏は「できない」という答えを提示した。しかし、これは決して現代世界に対する悲観的な捉え方によるものではなく、むしろ「自分達自身が何をすることができるのか」ということを考える契機となるよう、未来志向的な考え方に基づくものであるとして、講演は締め括られた。

 

 

 

講演会タイトル:アラブの春‐熱狂と混乱‐

講演者:首藤信彦(インターバンド創設者)

日時:201364

場所:JICA地球ひろば A201202

 

この度の講演は、インターバンドの創設者である首藤信彦氏をお招きし、首藤氏のこれまでの経験から、彼の視点で見た「アラブの春」の背景やこれからのアラブ諸国の行く末について論じていただいた。首藤氏は、まず「アラブの春」が日本や世界で誤解されていることを指摘した。「アラブの春」は、アラブ諸国で強権政治に反発する若者が、Facebook等のSNSを通じてネット上で団結し、独裁政権を打破。そうして自由主義的民主国家が誕生したというようなイメージを持たれている。日本でもこうした表面的な報道しかされず、その背景に関する情報を日本のメディアは報じていない。そこにこそ複雑なアラブ社会の問題が隠されていると首藤氏は言う。歴史的にアラブ社会では様々な宗派の対立が頻発し、西洋の発展に遅れをとっていた。それに対して、イスラムが蔑まれることへの反発が若者の間で広がり、そこから現実社会に合わせて新しい社会を作り、イスラムが世界の覇権を握ろうという流れが生じた。そうした変化の過程で民衆の間での格差は広がり、紛争が起こるようになると知識人やリベラルな考えを持つ人、中間層の人々が次々に殺されていった。この流れは更なる反発を生み、若者が自爆テロを起こすようになり、「アラブの春」へとつながっていく。しかし、こうした背景は日本では報じられることはなく、「アラブの春」という言葉を使ったポジティブなイメージが作り上げられた。首藤氏は、日本で流されていない若者の自爆テロの予告映像について触れ、「こうした映像に心を動かされない人はいない」と主張し、私たちが見過ごしてしまった現実の悲惨さを訴えた。

また、首藤氏はアラブの春を語るうえで重要となるキーワードとして「Youth bulge」という言葉を挙げた。これは、ポーランドの学者であるグナル・ハインゾーンが提唱した考え方である。福祉重視の政策をとり、急激な経済成長を遂げた国では、豊かになって結婚する人が増えることで、そこから大量に子供が生まれてくる。そこで生まれたたくさんの子供が成長すると、ある時期に人口における青年の割合が急激に増加し、長男のみが家徳を継ぐという文化の中であぶれてしまった二男、三男らが希望を失い、それが膨大なエネルギーとなって抑圧不可能になることで紛争や虐殺を引き起こす契機となるというものだ。アラブ諸国では、この膨れ上がった若年層の怒りや苦しみがネットと通じて団結し、「アラブの春」を引き起こしたというわけだ。首藤氏によれば、アラブの春をこの論点から見る人は少なく、大事なポイントを見逃してしまっているという。

本講演では、アラブの春によって生じたシリアの内戦とアメリカの関係や、その問題と日本における改憲論やオスプレイ配備の問題とのつながりなども論じられ、アラブの春の隠された背景やアラブにとどまらず世界に波及した問題まで幅広くお話ししていただいた。首藤氏は、本を読んだり、講演会で話を聞いたりするだけではなく、現場に出て活動することの重要さを訴え、「経験がすべてであり、現場に赴き行動することが大切だ」と我々に説いて講演会を締めくくった。